2019年3月28日、ディー・ゴードンは『シアトル・タイムズ』にイチローへの全面広告を出した。

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その中でゴードンは、イチローの友情と助言、そして教わった「秘密」がなければ、「首位打者ディー・ゴードン」は存在しなかったと記した。秘密の内容については、「絶対に明かさない」としている。

ゴードンがナショナル・リーグの首位打者になったのは2015年。子どもの頃から見続けてきたイチローと、マイアミ・マーリンズで初めて同じユニホームを着た年だった。

16歳で見た、誰よりも早い準備

ゴードンが初めてイチローに会ったのは、2004年のオールスターゲームだった。父トム・ゴードンとグラウンドを歩いていた午後3時ごろ、イチローはすでに球場へ出て、ストレッチを始めていた。

当時のゴードンは16歳。父はヤンキースの救援投手としてオールスターに選ばれていたが、息子が目で追ったのは、父とはまったく違う形でメジャーへ居場所を作った外野手だった。

ゴードンは後に、体の大きな打者が本塁打を放つメジャーで、細身のイチローが自分の打撃、準備、文化を変えずに成功したことが、野球を選ぶ理由になったと振り返っている。

「あんなに細い選手ができるなら、自分にもできる」。フロリダ州エイボンパークで育ったゴードンにとって、イチローは遠い国のスターである前に、自分の体格を言い訳にしなくていい証明だった。

遊撃から見ていた2012年

2012年6月、ドジャースはシアトルでマリナーズと3試合を戦った。ゴードンは遊撃を守りながら、打席に立つイチローの動きを追っていた。

本人の言葉では、守備よりイチローを見ることへ気を取られ、その安打を一本増やしてしまったほどだった。話しかけて打撃を聞く機会は作れないまま、イチローは同年7月23日にヤンキースへ移籍した。

ゴードンが「次に会えたら」と思った時間は、そこから2年以上続いた。

ジュピターで始まった関係

2015年1月、イチローは1年契約でマーリンズへ加入した。前年12月にドジャースから移籍していたゴードンは、その知らせを聞いて親友へ電話し、「俺がイチローと一緒にプレーするのか」と騒いだという。

ゴードンはスプリングトレーニング地のジュピターへ早く入った。自分の練習を始めるためだけではない。イチローがもう来ているかもしれないと思ったからだった。

イチローが到着すると、ゴードンは緊張しながら本人のもとへ歩いていった。イチローは、できることなら何でも手伝うと伝えた。

その年の5月、イチローは打率4割を超えていたゴードンについて、自分の若い頃と「とても似ている」と話した。打つ、走る、バントをする、反対方向へ運ぶ。イチローは、そのプレーを「見ていて楽しい」と評した。

2001年のイチローは、打率.350、242安打、56盗塁でアメリカン・リーグを制した。2015年のゴードンは、打率.333、205安打、58盗塁でナショナル・リーグの首位打者となった。

15年近く離れた二つのシーズンには、長打ではなく安打と走塁で試合を動かすという共通点があった。ただし、ゴードンがイチローの打撃をそのまままねたわけではない。イチローはゴードンに、自分の体格と能力のまま、何を伸ばせばメジャーで勝負できるかを見せた。

明かされなかった「秘密」

イチローが具体的に何を教えたのか、ゴードンは公表していない。

確認できるのは、ゴードンがイチローの準備を長く見続け、同僚となった2015年に初めて直接助けを求め、イチローがそれに応じたことだ。

2015年、ゴードンは首位打者になった。イチローはマーリンズの4番手外野手として、出場機会を待つ立場にいた。

役割は違っても、ゴードンが最も見ていた選手は変わらなかった。

憧れの選手と会えた話なら、ジュピターで終わる。ディー・ゴードンとイチローの関係は、そこから先の苦しい時期にも続いていった。